ご挨拶
家族の誰かが急須でお茶を淹れる光景が日常の中にありました。昨今 面倒に感じる方が多いと見受けられます。
「少しだけ手間をかけること」
「少しだけ本格的になること」
この時間をたのしんでいただきたい想いです。急須を使うことだけが手間をかけることではないと考えます。ライフスタイルに合わせた淹れ方で手間と愛情をかけて出来たこだわりの日本茶をいただくこと。そんなひと時と心のゆとりは「自分に手間と愛情をかけること」なのではないでしょうか。ホッとできるご家族、信頼のパートナー、親しいご友人とのひと時に芭蕉園のお茶がそっと寄り添う存在でありますように。特別なことではなく日常の中でたのしむ日本茶の魅力を発信し続けて参ります。
弊社は元禄元年 江戸初期に宮城の地で商いを始め、穀物商、米問屋を続いてまいりました。昭和16年 先代・関清が日本茶専門店「芭蕉園」を設立し、静岡産・岐阜産を中心に日本茶の販売を始め現在に至っております。創業から330年。皆さまの「日常の食」に携わって参りました。形は変わっても 商人としての心意気は変わらず受け継いでおります。
「 品質本位・味本位 」
「 食に携わる者 土壌をみよ 」
私たちは土作りから茶摘み 製造 仕上げまで一貫してお茶づくりに取り組んでおります。色・形にこだわらない、こだわり抜くのは 味と土。これからも、伝統を守りつつ時代にあう日本茶のご提案をし続けたいと存じます。
芭蕉園茶舗
代表取締役 関 孚
歴史
芭蕉園茶舗 成り立ち
資料として確認の取れる年号は西暦1688年。江戸時代の元禄元年にあたります。この時期に米・味噌・醤油などを扱う問屋として商いを始めました。江戸後期~昭和14年ごろまでは、関米穀店という屋号を掲げ、百貨店・病院などに主に米を卸しておりました。こちらが現在の芭蕉園茶舗の前身です。
戦時中
戦争が始まったことで、すべての物資が配給制となりました。そのために当時、国から米屋を集結させ会社を設立させるよう、関米穀店に要請があったそうです。しかし、当時13代目であった 関 清 はそれを断ります。関 清 は日本茶店作りたいという想いがあったためです。清は美味しい日本茶の専門店を設立させるため日本茶を猛勉強。昭和16年12月に念願の芭蕉園を設立するのです。当時は狭山茶を売りに販売を開始し、本櫓丁(現・国分町)にうまいお茶あり、と口コミで広がっていきました。
そして現代へ
戦争が終わり、長い昭和が終わりを告げた平成元年7月1日。個人事業であった、芭蕉園を有限会社芭蕉園とし、代表取締役に関 清 が就任。そして、平成19年2月 先代の退任に伴い、代表取締役は14代目 関 孚(たかし)へと継承されました。その後、平成19年には玄米入りほうじ茶の販売を開始。平成21年には当時日本ではまだ珍しい、国産の紅茶の販売を開始。平成24年にはほうじ棒茶と自社ブランドを確立させ、平成30年に創業330年を迎えました。
企業情報
代表取締役 | 関 孚 |
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専務取締役 | 関 清子 |
設立 | 1688年元禄元年創業 昭和16年12月芭蕉園設立 平成元年7月有限会社芭蕉園 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員 | 従業員 1名 パート 7名 |
実績
平成3年 | 創業303年顕彰 |
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平成28年 | 認定特定非営利活動法人JETOみやぎ 記念表彰授与 |
平成29年 | 仙台販売士協会 仙台いい店みっけ 受賞 |
平成29年 | ミシュランガイド宮城2017特別版 レストラン飲食店掲載10店舗より御用命 |
平成30年 | 国宝瑞巌寺平成の大修理落慶法要 記念茶会にて抹茶御用命 |
平成31年 | 創業330年表彰 |